私はいつも臨戦態勢ではない

今朝、ワールドベースボールクラシックの審判の誤審についてちゃっとにて議論をしたわけだが、なぜだか始終私は不機嫌。
メジャーリーグの現役審判を引っ張って来れず、下手くそで誤審も多い審判員を採用したWBCホスト国アメリカの非礼さをただ言いたかっただけなのだが…。
内容は置いておいて、その不機嫌さの理由を解析。不安など心の不安定な状態があれば、徹底的に分析して理解すれば克服できると小説版ガルフォースのエルザも言っていた:-)
いつぞや知った女性型会話という考え方がしっくり来るので、それで説明。

前提条件

2モード持っている。
多分、世間一般的にはその2モードを使い分けているのだと思うのだけど、以下私の場合に明確化してみる。

モード1:私は寝起きや疲れていたりするとき、女性型会話

女性型会話というのは、基本的に否定しない会話
同語反復(Aという発言に対して、Aという返答)、もしくは、真理値がひっくり返らない程度の否定(Aという発言に対して、A”(not A << A” < A))という返答
⇒ この会話を行なう事で、リラックスを得たりや精神的な疲れを癒す。また仲間意識を高める

モード2:私は仕事や、趣味の場などでは、男性型会話

一方、議論では、あらゆる主張などが出る男性型会話。
Aの否定や、別の命題B導入などと様々。
仕事や、臨戦態勢のときや、そういう同じ趣味を持った人たちの場のときならば、こちらのモード。
⇒ この会話を行なう事で、真理に近づいたり、ある集団の方向性が得られる

検証

  1. まず、朝起きてちょっと風邪っぽくのどが痛いのだけど、休出のため出社準備で気分はあまりよくない状態。
  2. そして、気分転換に、某氏の日記を拝見して、共感を得たので、(1)のモードで伝言をした。
  3. だけど、それに気づいた別の某氏からモード2でIRCで議論され、私は臨戦態勢ではなくそういう気分ないのだけど受け答え。
  4. さらに別の命題も導入されてしまい、もう議論継続する意思はないが、負けたくないという気分も首をもたげる。
  5. そして、気分の許容範囲を越えリミットブレークし、仕掛けられた悔しさもあって、(モード1な)世間一般の人にそういう議論すると嫌がられるよ、ぶっちゃけ本音発言。

考察

議論の幅がないのは認めるが、そもそもそういう議論をしたかったわけでなく、気分の許容範囲の問題なんですよ。
んで、論理で話す事は重要だけど、“気分”や“場”によって、議論を遂行する推論機構はいつも臨戦態勢じゃないのです。

場について言うと、例えば、宮崎駿アニメが放送されたとして、一般の人たちが、会社の昼休みに昨夜見たけど久々で楽しかったねぇ、そうだねぇと会話。そこにアニメマニアの人が来て、声優がダメ、演出がダメ、宮崎駿の最近の作品の傾向がダメとか言い出す。
それは的を射て正しいとしても、会話としてはどうだろう?
一方、アニメマニアが集まったちゃっとの場で、上記の話をしたら、逆の結果だろうな。
どちらが悪いというわけでもないけど、あえて言うなら、場が読めなかった人の負けだと、私の価値観ではそう思う。

結論

今回のは、最初に聞き流すか、そういう気分でないと明確に意思表示をしないといけなかったんだろうな、人の顔が見えないちゃっとでは。
まぁ基本的に私が話題を振るような内容は、モード1の話がしたいからだと思って間違いないが(笑)

備考

なお、女の子と付き合うには、基本は女性型会話で会話しながら、ときどき男性型会話で男らしさを見せるのが一般的に良いそうです。
もちろん例外もあるから、恋愛の方程式なんて定式化できないし、あっても解けないんだろうが(笑)