:“人は島嶼にあらず”について

アクセスログを見ると、結構検索をかけて調べようとしている人が多くて前から驚いていたのだけど、あまりにも調べ物の邪魔になっている気もしてきたので、知っていることを書きます^^ 一応プロフィールに少し書いていたのですが、多分気づかないので(^_^;

まず、村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」の作中に出てきた言葉として、私は知りました。第3部鳥刺し男編の“14 待っていた男、振り払うことができないもの、人は島嶼にあらず”の章にて、初めて出てくる、牛河の立ち去り際の台詞の中で出てきました。

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

「これはこれはこれは、ずいぶん遅くなっちゃいましたね。申し訳ありませんね、勝手に鍵をあけて他人の家に上がり込んで、長々と喋りまくって、その上ビールまで頂いてね。まあ勘弁してください。わたしは申し上げましたとおり、家に帰っても誰もいないというしがない身でしてね、たまに話し相手が見つかるとついつい腰を据えて話しこんじゃうんです。情けない話ですね。だからね岡田さん、一人暮らしってのはあんまり長くつづけるものじゃないんですよ。ほら、人は島嶼にあらず、というじゃありませんか。あるいは小人閑居して不善をなす、と申しますかね」

役回りにおいて牛河という人物は主人公に敵対している人の部下なんですが、風貌はともかく個人的には牛河のねんちゃく気味の話し方は結構好きです(笑)
確かもう一度、作中にこの言葉が出てくるのですがちょっと忘れました。そちらの方が印象深い引用のされかたをしていたと記憶しています。その意味の奥深さも気に入って、人間という種の一部でありながら人と繋がるのが私のポリシーでもあるので、ブログタイトルにさせてもらっています。
もう一度読み直したいですね^^

そして、元の出展ですが、形而上的詩人と言われたイギリスの詩人 John Donne (1572-1631)の詩の一つ“死にのぞんでの祈り”だと思います。
ヘミングウェイの“誰が為に鐘は鳴る”の作品や映画で引用されたのが有名ですね。
以下に、原詩と邦訳を載せます。

No man is an island,
Entire of itself.
Each is a piece of the continent,
A part of the main.
If a clod be washed away by the sea,
Europe is the less.
As well as if a promontory were.
As well as if a manner of thine own
Or of thine friend's were.
Each man's death diminishes me,
For I am involved in mankind.
Therefore, send not to know
For whom the bell tolls,
It tolls for thee.

John Donne

なんびとも一島嶼にてはあらず、
なんびともみずからにして全きはなし、
人はみな 大陸(くが)の一塊(ひとくれ)、
本土のひとひら
そのひとひらの 土塊(つちくれ)を、波のきたりて洗いゆけば、
洗われしだけ欧州の土の失せるは、さながらに岬の失せるなり、
汝が友どちや 汝(なれ)みずからの 荘園(その)の失せるなり、
なんびとのみまかりゆくもこれに似て、
みずからを 殺(そ)ぐにひとし、
そはわれもまた人類の一部なれば、
ゆえに問うなかれ、
誰がために鐘は鳴るやと、
そは汝がために鳴るなれば

大久保康雄

もう一つ、紹介します。検索かけてみると、浜田省吾さん訳も引用されている方が多いですね。

誰も孤島ではなく
誰も自分ひとりで全てではない
ひとはみな大陸のひとかけら
本土のひとひら
そのひと握りの土を波が来て洗えば
洗われただけの欧州の土は失われ
さながら岬が失われ
君の友人や君自身の土地が失われる
人の死もこれと同じで
自らが欠けてゆく
何故なら私もまた人類の一部だから
ゆえに問うなかれ
誰がために鐘は鳴るやと
それは君のために鳴るならば

浜田省吾