:作り手と地域の想い

小説「坊っちゃん」の最終章に、「その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた」とある。小説の舞台は「四国辺」とぼやかしてあるものの、作家も口が悪い◆作品名を冠した列車があり、文学賞があり、菓子があり、松山市はいま、“坊っちゃんの町”で知られている。文芸誌ホトトギス」に小説が発表されて満100年にあたる今年は多彩な催しが用意され、地元の意気込みは格別と聞く◆悪口を書いて、こんなに大事にされて「漱石先生、もって瞑(めい)すべし」と、作家の半藤一利さんが「漱石俳句探偵帖」(角川選書)に書いていた。風光に似て、人の心も穏やかな土地ならではだろう
8月4日付・編集手帳http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060803ig15.htm

最近、アニメなどの作品で、現実世界に舞台を求めて、作品内へ借景したり、その舞台そのものが出てくることが特に多くなった。借景組なら古くは天地無用(岡山の各地をスポイトして使用している)とか、舞台そのものが出てくるのはセーラームーン(麻布十番)とか最近なら朝霧の巫女の広島三次や、エルフェンリートの鎌倉かな。特にエルフェンリートの監督と美術さんは足繁く鎌倉を歩き回り、作品に活かしたとコメントもあったな。そういう作り手の思い入れがあり、かつ作品自体が面白いと、やはり人としてその舞台を作品の史跡として訪れたくなるものだ、特に私は(笑) ここで言う史跡は歴史的な出来事があった場所というポインターが張られた地点というよりも、仮想とはいえとある物語での出来事があった時空を越えてポインターが張られた現実の場所と私は再定義したい。現実の場所には、地球誕生から今までの歴史が交差し蓄積された意味合いもあるので、そのような意味合いの付加をしても、私はおかしくないと思っている。
そして、最近、時をかける少女が話題に上ることが多い。前の映画の舞台は尾道なのだけど、今回のアニメリメイクでは京成線沿線などが使われているようだ。
その新作で一躍時の人になった細田監督もさぞかし、“舞台”における思いもあるのかと思いきや、友人のReijiから面白い話を聞いた。同じく細田さんが手がけたデジモン劇場版(何作目か私は知らないのだけど)はお台場を舞台にしているそうで、そこでファンはそのお台場を全て回り映画内のカットと同じ場所を写真に収め、まとめたものを同人誌を出したそうです。それに対して、細田さんのコメントは「ストーカーみたいで気持ち悪い」だそうだ(大笑)なーんか、エヴァで最後にアスカに「気持ち悪い」と言われて、突き放されて現実に引き戻される感じにも似ているな(大笑) そうコメントした細田さんの気持ちはわからないでもない:-) まぁ許してくださいよ(笑)
もちろん、史跡探索には高いモラルを持って訪れる必要があると思う。作品の史跡は観光地ではない場合が少なからずあるので、そこは注意しながらも、十分楽しんで欲しいと思う。
作り手側のモラルについてはまたいつか後述。

時をかける少女 絵コンテ 細田守

時をかける少女 絵コンテ 細田守