:死闘の本土上空

不発弾:東京・調布で発見 「飛燕」が体当たり、墜落B29から落下 克明にスケッチ
 ◇当時中学生の77歳・岡田さん、勤労動員で目撃

 東京都調布市国領町1の民有地で3月、不発弾1発が発見された。1945年4月7日に来襲した米軍爆撃機B29編隊の1機が、日本の戦闘機「飛燕(ひえん)」の体当たり攻撃を受けた際、機体から落下したものとみられる。当時中学生だった同市仙川町の岡田敬造さん(77)は地上で目撃し、日記帳にスケッチしていた。岡田さんは63年前の記憶をたどりながら「落ちた時に爆発しなかったのが不思議だ」と感慨深げだ。【佐藤浩

 調布市によると、不発弾は1トン爆弾(長さ約180センチ、直径約60センチ)。京王電鉄京王線地中化工事の事前調査で3月27日に発見された。

 1トン爆弾は、軍需工場などを標的とし、強力な威力を持つ。市や郷土史家の古橋研一さん、飛燕を操縦して落下傘で生還した少尉の手記などによると、B29などの大編隊は45年4月7日午前、調布に近い中島飛行機武蔵製作所などを狙って来襲した。

 迎撃のため調布飛行場を離陸した少尉の飛燕が高度約5000メートルで大編隊に遭遇。B29の左エンジンに体当たりした。飛燕は右主翼がもぎ取られ、少尉はとっさに脱出し、落下傘で世田谷に舞い降りた。B29は空中分解しながら国領周辺に墜落。乗員11人中、10人が死亡した。

 この一部始終を、勤労動員で下北沢から府中に向かう途中の岡田少年が見ていた。「(2機が)ぶつかった瞬間、ピカッと光った。飛燕はすぐに燃え尽きた感じでした」

 岡田少年は目に焼き付いた光景を、当時付けていた日記帳に「体當(あた)りによる一機撃墜を見た」などと記してスケッチ。翌日、周辺を歩き、畑に落下した尾翼を再び日記帳に描いた。

 不発弾は発見場所や大きさから、この時のB29の落下物と推定される。岡田さんも「間違いない。よく残っていた」と語る。

毎日新聞http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080512ddm041040197000c.htmlより】

不発弾のニュースは知っていたのだけど、先週くらいに朝のワイドショーのとくだねで、体当たりをしたという話を知った。あぁ昔読んだなとこの本を思い出した。イデオロギーの話や戦略のまずさ、そして過度に美化された特攻作戦などの話は除外されていて、日米両軍の戦争事実と、飛行機の技術、そして当時の関係者の話で構成されていて読みやすかった。もちろんこの本では、特攻だけでなく通常の攻撃において、飛行機の改良や、弾の改良などの技術観点で興味深く読めたな。もちろん戦況の悪化で、まともに技術開発も出来ないし、導入できず未達で終わった技術もあったのだけど。私も一技術者として状況の悪い中で開発する辛さはわかるな。そして、当時の日本戦闘機の限界高度を越えて高高度で悠々と飛ぶB29を迎え撃つ姿は、一撃だけの機会しかない与えられない居あい抜きのような悲哀を感じる。零下50度で秒速60メートルの突風が吹きすさび、自分の酸素吸入器の音しか聞こえない世界での戦いは、本当に孤独過ぎる。なにより国民を守ろうと必死ゆえの行動だったのは手記や関係者の話で本当に分かる。次第に防衛網もどうしようもなくなって、飛べる戦闘機も減ってくる、だけど敵の爆撃機の大軍団は容赦なく侵入してくる、か。
一方、飛行機乗り特有の話もいろいろ面白かったな。視界内に小さな物体が浮かんでいるなぁ?と思って触ったら、高速で飛んでいる弾丸とか^^; 飛行機も同じ速さなので、宙に浮かんでいるように見えたとか、まさに極限の世界だな^_^;

死闘の本土上空―B-29対日本空軍 (文春文庫)

死闘の本土上空―B-29対日本空軍 (文春文庫)