:外交の妙

戦国時代の小説を読んでいると、大名や武将の視点からの話がやはり多い。実際、戦国時代に生まれていたしても、そのような身分になるのは限りなくゼロに近いだろう。名もなく死んでいく足軽の一人か、大多数の百姓だと思う。それを体現させてくれる機会があり、別の人生を歩かせてもらえたというのは言い過ぎだけど、密度の濃い貴重な体験ができたと今でも誇りに思っているし、その経験で得た知識や考え方が現実社会において仕事なり人付き合いで役に立っている。


私は、MMOの信Onにて、某家の会議を主催することになり、代表者の一人として他家との外交にあたったことがあった。各国ごとに所属しているプレイヤごとに、国盗り合戦を行うのだから、単に人が多いだけでは合戦に強いとは言えず、皆の意見を取りまとめ方針を決める必要性がでてきた。そのため、私の所属していた家でも、人が集まると自然発生的に自治が出来、方針を話し合う会議が毎週行われるようになった、それも百人越えの人数が集まるから直接民主主義そのものだな!と仮想世界とはいえ、その成立には驚嘆した。各国、政治形態は様々だったけれど、それでも意思決定機関もしくは指導部が出来ていたのは、あるレベルまで政治というものを理解しているか、存在しないと落ち着かない(笑)という日本人の特性なのかもしれない。そんな中、私はまだ会議のとりまとめを行う補佐のような立場にいて、サポートレベルで会議で決まった内容を相手に伝えるのみに徹していた。
外交も他家との同盟を結んで共闘などはできていたが、本当の意味での外交はできておらず、自家の利益ばかり主張し外交交渉が失敗してしまうことが少なからずあった。悪いことは続くもので、史実通りに、我が家は、二カ国から攻められるようになった。戦況の悪化により滅亡の寸前まで行き、それでもリアル時間で半年は持ちこたえた、日本人の気性の凄さはこういう底力を発すものなのかと心底驚きつつ、仲間の頑張りを見て私もリアルは二の次でのめり込んだ。
だが、滅亡した。
奮闘むなしく戦術レベルでの巻き返しでは大勢を挽回できず、戦略レベルで打っていた手もことごとく間に合わなかった。でも、挫けるわけでもなく、互いに健闘を称えあい、再興を目指して頑張ろうと誓い合った。そして同盟国の許可をもらい、同盟国拠点を根城にした。この半年はリアルも各自ひどいことなっていたし(苦笑)、ゲーム本来の楽しさを味わおうと全員とも三ヶ月の余暇を決めた。ただ、その間全く何もしてなかったわけではなく、各自のツテから他家動向の情報を集めつつ、評定を重ねた。再興戦をいつ仕掛ける日取りも重要だったが、より重要なのは、再興してもすぐつぶされては意味はないと再興後の情勢を睨んで諸国の外交窓口と交渉を行っていった。ここで、本当の意味の外交ができてきたと思える。うちの家は外交の拙さで滅びたと理解してくれた同志たちと私は積極的に情報を集め、味方だけでなく敵方の家にも知己な友人を増やしていき、様々な経路から交渉の糸口を掴める様に奮闘した。その結果、相手の家の方針を理解し、相手の国の家中の大多数なり少数の意見も十分研究し、ここまでの条件や内容ならば受け入れてもらえるだろう判別できるようになり得た。私と同志たちは草案を作って会議にかけて、いろいろ外交交渉にでかけて、成功を収めることができた。そうして、時が満ちて将兵の帰還を促して、復興の合戦を仕掛けて、故郷の地を取り戻すことが出来た。復興した後も、外交的な安定を形作っていき、外交による有利さを形作ることがまずありきという理解が家中にも浸透して、積極的な外交を推進してほぼ全国の家と外交ホットラインを作り、以後滅亡することもなく、強国の一つとして今も健在だ。


外交重視の姿勢の家風を友人らと作りえたのは、私や友人らの貢献だと思える。この外交方針を堅持すれば、MMOシステムが大きく変更されるまでは(苦笑)、勝ち負けはあるだろうが滅亡せず百年は持つと安心したときに私は引退した、心底そういう気持ちだったからだ:-) 引退したのも四年前の話か、三年間頑張ったものなぁ。面白い夢を見させてもらいました(^-^) 外交を支えてくれた同志さんらとは時々オフ会で飲んで、苦労を偲んで昔話に花が咲きます(笑)
才能のレベルは全然足りないのだけど、播磨灘物語の主な人物の性向から行くと、特に自立的に外交を面白がって頑張ってくれたN氏は安国寺恵瓊に似ているし(笑)、私は外交得意だが熟考し専守傾向がある小早川隆景に似ているのかもしれない(大笑) Sさんは特別な感性で物事を見極めていたけど、体調悪化させてしまい申し訳なかった、竹中半兵衛になにかと似ているようにも思えた。私だけはやっぱ言いすぎだな^^; でも官兵衛レベルの智者は家内に数多くいて、議論も紛糾することすること(苦笑)、大変でしたが楽しかったものですね。