- 作者: 横山高治
- 出版社/メーカー: 新風書房
- 発売日: 1995/07
- メディア: 単行本
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この前、伊賀上野城を見に行った際に購入。最初は郷土史をまとめた地元有志の本かと思っていたら、読売新聞伊賀版に連載されていたようですね、勘違い、失敬^^;
また、地元を舞台にしている作品なので、所縁のある先祖のお名前はやはり書き漏らしてはいけないという配慮だと思うのですが、信長軍に反抗した方々のお名前の数が物凄い(^^;
その一方で、伊賀の三悪人と言われる福地氏の子孫の方のフォローも(^^) 著者の恩師でもあるそうで、今は悪人ではなくて地域に貢献しているとのこと。いろいろ書くのも大変ですねぇ(^^;
本題。この乱は、小説や漫画などにおいて信長の一方的な一人残さずの虐殺という描かれ方が多いのだけど、事実はやはり違うなぁ。 城を枕に憤死せず忍びの技に長けているので諸国に四散したり、和議が結ばれたりしているようですね。
箇条書きで、簡単にまとめ。
いろいろなエピソードが織り込まれているので、興味ある方は読むことをお勧めします。北畠家のことも詳しく書かれていました。
- 伊賀の国では、有力な大名がおらず、小勢力が乱立。
- これでは周囲の動き(信長の台頭など)に対応できないということで、近江から元々の国主に近い縁者仁木氏を呼んで、国主に据える。
- しかし、その男が酒乱や乱行が多く、愛想が尽きたので、伊賀衆は追い出す。
- 担ぎ上げるのはほぼうんざりしていたが、下山甲斐という少領主がやはり拙いだろうと隣国の伊勢北畠家の勢力下に組み込んでもらえるように働きかけ。
- その頃、唯一北朝に屈しなかった南朝名門の北畠家は、残念ながら織田家に屈服。北畠家は織田信雄が継いでいた。
- 信雄は、父信長の領土の拡大、そのほかの有力武将の様々な功績を見て焦っており、伊賀国の併合を画策していた。
- 信雄の配下の滝川三郎兵衛という野心家の主導の下、柔軟策で伊賀を取り込むことになり、伊賀に丸山城を築城開始。賃金もかなり弾み、伊賀の景気もよくなる。
- 当初、伊賀諸勢力も下山甲斐の頼み込みでしぶしぶ受け入れたが、滝川の贈り物攻勢や、築城の好景気で乗り気に。
- しかし、滝川の増長と、次第に賃金不払いが相次ぐことにより、伊賀衆が嫌気。元に戻ろうと、念入りな調査と連携により完成寸前の丸山城を急襲し破壊。
- 信雄は激怒し、挙兵し伊賀に攻め入るが、寡兵なれど地の利と忍びの技に長けた伊賀衆の活躍により、散々に撃退される。
- 信長がそれを知り激怒。もちろん、信雄のやり方も拙いのでかなりの叱責付き。
- 荒木村重などの謀反鎮圧も終了し余裕が出来たので、信長は配下の有力武将を総動員かけ五万の兵力で伊賀国の諸街道全てから侵入し、各小勢力を撃破。
- 比自山砦に敗残した伊賀衆が結集。織田勢も取り囲む。夜襲などで織田勢に成果を挙げ、織田勢の総攻撃の前夜に全員にて退散。それを知らず攻めた織田勢はもぬけの殻の城に呆気にとられる。
- ほぼ終了し信長は引き上げ、伊賀衆残党の掃討に信雄と一部織田武将残る。
- 最後に立てこもっていた柏原砦も、和議が結ばれることなり開城。信雄は約定を守り一切の殺戮は行わず。本願寺門徒の一人残さずの虐殺とは違うな。
- 以降、信雄が治めることになったが、秀吉時代に筒井氏が上野に城を築いたり、大阪の役の前に家康が藤堂高虎に城を築かせたりと変遷。
- あと、戦端をひらくきっかけになった下山甲斐、信長軍を手引きした福地伊予守、耳須弥次郎は、伊賀の三悪人と言われるようになったそうな。