東方妖々夢@大阪河南町



舞台になった場所に行き、登場人物の言動に思いを馳せるのが醍醐味だと思います(^-^) でも、その場所は普通の生活地域になりますので、公序良俗に反しないように行動はくれぐれも慎んで、常識を持って楽しんでください。 特に、その場所で騒がない、壊さない、汚さないは守りましょう(^o^) よろしくお願いいたしますm(__)m
当ブログでの舞台探訪のポリシーはこちらになります。

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桜が綺麗な季節だねーってことで、昔から腐れ縁のid:ichiro_jさんと、大阪南部に行ってきました。彼に東方Project作品の魅力を思う存分見せられて、私もはまった経緯があり、そのお礼に私の趣味の舞台探訪で返そうかと、今回のコラボ?企画になりました!w


御存じない方に説明しますと、東方Project作品は、シューティングゲームになります、それも超ド級の難しさを誇る(^^; その一方で、登場人物や敵キャラには、主人公の巫女や魔女の人間以外にも、妖怪、妖精、魑魅魍魎、神様などの可愛い女の子が登場します。ゲームの難易度も楽しめますし、キャラクターの織り成すドラマも広がっていきますし、BGMの音楽の幅の広さも魅せられますね(^-^b ニコニコ動画ではこの作品の二次三次創作などの作品の動画や、アレンジした音楽がたくさんあります。
今回は、ゲーム内のシーンが出るわけではないのだけど、西行法師にゆかりのお寺と桜を楽しんできました。


何故このお寺かと申しますと、次の引用文章のように、東方Projectの一つのこの作品の中心人物である西行寺幽々子の父は歌聖であり、“西行妖”という桜の木の下で亡くなったという設定です。

その昔、幻想郷には一人の歌聖が居た。歌聖は自然を愛し死ぬまで旅してまわったという。自分の死期を悟ると、己の願い通り最も見事な桜の木の下で永遠の眠りについた。


それ以来その桜はますます見事に咲き誇り、多くの人を魅了し、多くの人が永遠の眠りについた。そうした死の魅力を持つ桜は、いつしか妖力を持つようになっていたのだ。


それから千年余り経った。


西行寺家にはいわく付きの妖怪桜「西行妖(さいぎょうあやかし)」がある。この桜は、幽々子がここに来てから、どんな春になっても、開花する事は無かったのだ。
<マニュアル内キャラ説明、幽冥楼閣の亡霊少女 西行寺 幽々子より一部引用>

作品のメインストーリーでは、幻想郷がいつまで経っても春が来ない?これはおかしいと原因を探すために、霊夢魔理沙はいつものようにあてもなく旅立っていき、最後には原因を作り出していた西行寺幽々子と出遭うわけです。
このように、幽々子様の父の歌聖は、ほぼ西行法師を模しており、このお寺には、西行法師が葬られている墳墓があります。そのため、霊夢魔理沙よろしく、私とichiro_jさんの二人で、桜の綺麗なこの時期に訪れることにしてみました。


また、id:ichiro_jさんは動画撮影してまして、彼の手による史跡探訪をまとめた動画が次になります。構成もわかりやすく、東方の音楽もうまく活用していて、実際に巡っている気にさせてくれますね(^-^)
ぶらり東方史跡巡りの旅 第1回 西行妖を求めて 〜大阪・弘川寺〜 (ichiro_jさん)
もし良かったら彼の動画も御覧下さい、私のレポとはかぶるのは仕方ないけれど(笑) まぁ細かいところは私の文章に任せて〜w
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それにしても、彼が頑張っている週刊東方ランキング編集部に、史跡巡り班!?が新設されw、なんかいつの間にか私も加入させられてしまったようですw


さてさて、レポをはじめたいと思います。
この日は、残念ながら午後から雨ってことで、予定を午前に前倒ししてやってきました。大阪南部の河南町にある弘川寺になります。


途中でid:ichiro_jさんを車に乗せて、目的地に到着〜
桜のシーズンとはいえ参拝する人は少ないのでは?という予想を覆し、新しく出来ていた駐車場の十数台は満杯でして、さらに観光バスも来ていました(^^;
こちらが弘川寺へ向かう道を指している看板です。横の石碑は苔むしていて趣きありますね:-)


弘川寺の手前にあったマップになります。左下付近の固まった部分がお寺の敷地と、西行法師の縁の桜の山になります。それ以外は結構急な山道でハイキングコースでした。

マップの看板の背景の山はこのように桜が散在して咲き誇っていました。


お寺に入っていきます。


まず、参拝者を出迎えてくれるのが、この見事な枝垂れ桜です。名は「隅屋桜(すやさくら)」と呼ぶそうです。
伝承によると、西行法師没した後の南北朝の戦乱時代に、この付近に南朝側の武士で隅屋興市正高という弘川城城主がいたそうです。ですが、北朝側に攻められ、奮戦空しくこの辺りで戦死したことを桜の名として残しているそうです。この地のさらに南の地には南朝忠臣 楠木正成の赤坂千早城もあり、楠公亡き後も南朝側武士として志を一つにしてこの地で戦っていたのも偲ばれます。


以下、続きます。


弘川寺の本堂になります。その由来は、修験道の祖の役行者までさかのぼるそうですね。晩年、西行は空寂上人の法徳を慕ってこちらの寺に腰を落ち着けたようです。


こちらは西行堂になります。西行法師本人が使ったわけではなく、彼を慕った江戸期の歌人似雲法師が建立したそうです。


どんどん登っていきます。参拝されていた方以外にもハイキング目的の元気なご高齢の皆さんもおられましたね〜


お寺がある広場からちょっと登ったところにこのように開けたところがあります。


こちらが西行法師が葬られているという墳墓になります。上部に桜がかかっていますし、桜の枝がいけてありますね。まさにこの時期に来てよかったです(^o^)ここは、幽々子様が使う弾幕の名称に、『リポジトリ・オブ・ヒロカワ』というものがあり、そのまま、『弘川の墳墓』という意ですね。
そういえば、東方関係で来ているんだろうなって二人組さんがいたので、声をかけたところ、やはりそうでした(^^)



そうそう、個人的には幽々子様のステージの曲『幽雅に咲かせ、墨染の桜 〜 Border of Life』がお寺に入ってから脳内でぐるぐるループしていました(^^) この名曲は様々なファンによってアレンジされて歌も入っていますね、それぞれが幽々子様と桜の儚さを歌い上げていて好きですね(^^)
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そして、こちらは、西行法師を有名にした歌の碑です。
『願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ』
実際にこの通りの季節に亡くなったそうで、京の都の歌人の間ではかなり風流ことだと話題になったそうです。 この歌は東方妖々夢の中でも引用されており作品をさらに趣深くしていますね:-)


私は前日に参考として白洲正子の『西行』という本を読みました。史跡を巡りながら歌の解説や西行の心情や背景などが詳細に書かれている本で、隠棲者というよりも一流の数寄者という観点で面白く、今回の史跡巡りの背景知識にかなり役立ち、かつ趣が楽しめました(^-^b お勧めの書になります:-)

西行 (新潮文庫)

西行 (新潮文庫)


また、西行法師は平安時代の方で、平安、鎌倉、室町という時代に、歌人として崇拝されていましたが、江戸期にはこの墳墓の位置さえもわからなくなってしまったそうです。
そこで、江戸期歌人の似雲法師という方が過去の文献を調べたり識者に聞くことで、弘川寺の近くにあると知り、山野にかけ入りついに墳墓を発見したそうです。
その後、庵を立てて、西行法師と同じ生き方で寿命を全うしたそうですね。その似雲法師のお墓がこちらになります。西行法師の墳墓の近くにあり、まさに彼の人生をそのまま表しているように思えました。
この方も、私たちのような舞台探訪者の先達なのかもしれませんね。


似雲法師のお墓の左側から桜の山に登る道が続いています。入山者心得も桜を配慮したことが多く、ある意味風流にも思えました:-)


急斜面にも桜の木があり、吉野山の桜もこのような風景もあったよなぁと思い出しました。西行法師は吉野山でも庵を営んでいたそうです。平安貴族の吉野山の桜を讃える歌は想像で読んでいたそうで、西行法師が初めて吉野山に分け入り、実際の絶景を見ながら歌を詠んだそうですね。


こちらは、似雲法師の「花の庵」の址だそうです。桜の山のほぼ頂上付近にありました。西行法師の生き方に少しでも近づきたいという歌人の思いが感じ取れました。西行法師を慕って寄り添う様が、幽々子様を護り従っている武人である半人半霊の魂魄妖夢をなんとなく彷彿してみました。


桜山の頂上付近になります。山桜が綺麗ですね。ソメイヨシノはこの時期なのですが、山桜の盛りはちょっと前で少し散っていました。


さらに進めば一周出来るとはずと進んだのですが・・・急な杉林の山道に入ってしまいました。急な階段も続き疲労し、雨もこのときから強くなってきたので、仕方ないなぁと、杉林の中で弁当を食べました。一つ前の写真の頂上付近で戻るのが正解だと思います(^^;
それにしても、まさに「ゆっくりしていってね☆」状態w


どこで曲がるかわからず引き返そうか?と心がくじけそうになっていると、里山の道に降りる道を見つけました。路標では今までの山道が「すぎひのきの道」のようですね、花粉症のシーズンには辛い道だな(^^; 奥に降りていくのは里山の道だそうです。


降りていく途中にも、桜があり目を楽しませてくれました。



降りきって、再びお寺に戻ってきました。お寺には記念館があります。ただ、四月の桜か、九月の紅葉の季節の一ヶ月ずつしか開館しないので訪れる時には要注意です。


さて、本坊になります。


白玉楼のような立派な日本庭園です。その中心に際立って咲き誇っているのが、こちらの桜になります。
東方妖々夢に出てくる“西行妖”という巨大な桜のように思えました。参拝客の誰もが押し黙って、見惚れてしまうほどでしたねぇ…日本人で良かった。



そして、記念館ではいろいろ拝見しました。西行法師直筆の文が見ごたえありましたねぇ、平安貴族風な手紙の書き方で面白かったです。行間に返答を書きあって送り返すというのですね。 桜の木で彫られた西行木像も必見です!
また、西行法師は出家する際に自分の娘を蹴飛ばしたという伝説があり、その絵巻物をみていたときに
【ichiro_j】:この蹴落とされている女の子が、のちの幽々子さまですね?
【Minky】:ちょwおまw
東方の世界では、幽々子の父は歌聖という設定ですから、解釈としてはそうですが、真剣に見ていた彼が急に言うのでつい吹きました^^;


最寄のバス停留所になります。一時間に本数が少ないので、事前に調査した上で利用されるのがいいと思います。


最後に。桜の季節に来れて本当に良かったですね。急な誘いでしたがid:ichiro_jさんも準備万端で(ビデオカメラ新規購入してたw)、楽しい史跡巡りとなりました。次回は、東方Project作品のゆかりの舞台として、京都や諏訪大社などに行ってみたいですね:-)



東方妖々夢(C) 上海アリス幻樂団
■文章:Minkyこと、このブログの中の人。首領というあだ名だったり、rossetaとも呼ばれます… < 動画の最後w
■更新履歴
4/6:とりあえず、アップの暫定版〜 文字や文章チェックはまだ…(^_^;
4/7:文章修正と、「幽雅に咲かせ、墨染の桜」のニコ動引用、魂魄妖夢の言及を追加。
4/8:作品を知らない方のために説明用に引用文などを追加。これで一応完成〜