マイマイ新子と千年の魔法@山口県防府市

マイマイ新子と千年の魔法  オリジナル・サウンドトラック

■舞台を訪れる際の注意



舞台になった場所に行き、登場人物の言動に思いを馳せるのが醍醐味だと思います(^-^) でも、その場所は普通の生活地域になりますので、公序良俗に反しないように行動はくれぐれも慎んで、常識を持って楽しんでください。 特に、その場所で騒がない、壊さない、汚さないは守りましょう(^o^) よろしくお願いいたしますm(__)m
当ブログでの舞台探訪のポリシーはこちらになります。

舞台探訪日:2009年12月13日


マイマイ新子と千年の魔法”の片渕監督自ら舞台での紹介を行うイベント「監督と歩くマイマイ新子と千年の魔法探検隊2」に参加しました。前日には、講演会、お食事会などと監督とお話できるイベントもあったのですが、私は仕事トラブル対応で泣く泣く休出でした(T_T)
このように作品に関わったスタッフの案内、ましてや監督自らが舞台で説明してくださるというイベントは、私も数々の舞台を回りましたがほぼありません。このような機会を逃してなるものかとこちらのイベントには参加させて頂きました。


この日は降水率が微妙でしたがなんとか天候ももってくれました。ツアー終了後にポツポツきていましたね。参加者さんの作品に対する思いのおかげでしょうか(^-^b
県外参加者は10名枠で募集されていて、私を含め7,8名でした。最終的に市内参加者の方々も総計で70名もの大所帯で回ることになり、大名行列のようでしたねw 江戸期は萩の毛利家が参勤交代のため防府から船で移動したそうですから、それを模したようにもなりました(^^)

●作品舞台の防府マップ

今回の探検隊で回った場所をマップにプロットしてみました。各々次のような意味合いでプロットしています。別ウィンドウで大きな地図で表示しながらレポを見ていただけると、より雰囲気が掴みやすいかと思います。
特に、新子の通学路のプロットした水色マークをなぞると、新子の登下校の息遣いが聞えてくるのではないでしょうか(^^)
■青色マーク:作中風景に出て来た場所
■水色マーク:作中風景で新子の通学路に関係する場所
■黄色マーク:作中風景で貴伊子の通学路や自宅。社有地のため立ち入りできません。許可を得た探検隊ツアーのとき入りました。
■緑色マーク:探検隊で紹介された場所など


より大きな地図で [Anime] マイマイ新子と千年の魔法 を表示

●イベント集合場所

集合場所は、JR防府駅の隣りにあるルルサス防府という複合商業施設内の広場でした。その隣りに受付開場があり、そちらはマイマイ新子の情報発信地として常時展示も行われているようでした。


9時集合でしたので、その時刻前にはかなりの人出になっており、各々受付をすませていました。スタッフの皆さんの丁寧な応対には嬉しかったですね(^-^b


ルルサス防府や市内各所にはポスターが掲示されていました。左のポスターは、防府の観光案内のポスターで、JRの駅構内などでも貼ってありました。
そして、右のポスターは、郷土資料館でのマイマイ新子と千年の魔法の企画展の紹介になります。郷土資料館では後で説明することになりますが、防府市内の遺構から出てきた品々が展示されており、今回のこの作品とも見事に合致している内容でした。


参加者に配布されたクリアファイル、絵はがき、参加章になります。
クリアファイルは、市内の郷土資料館でも入場した際にも頂けました。


続きます〜

●監督挨拶

主催者さん、図書館長さんの挨拶に続いて、真打となる監督の挨拶です。皆さん一斉にカメラで思い思いに撮影していました。やはり監督は今回のメインとなるだけあって、すごく憧れの対象であり人気者でしたね(^^) 監督のお話では、3年前にロケハンを行って以来度々訪れていることと、新子ちゃんが走り回っていた舞台防府を今回ツアー参加者さんに体験して頂きたいということを言われていました。

その後に、主催者から注意事項の説明では、交通事故ないように注意というもの以外に、作中と同じように池に落ちないようにとか、道端で出会う人に作品をアピールしてもいいのですが、見ろと脅迫はいけません、などと笑いを交えてましたねw
そして、参加者全員で記念撮影も行われました。

防府駅(旧三田尻駅)

ルルサス防府から歩いて最初に訪れたのは防府駅になります。まず、作中の方言を監修された図書館長さんの熱弁が振るった後に、監督の出番です。


作中で貴伊子はこの防府駅前に降り立ったのです、と防府駅前で熱弁を振るう監督がとても印象的でした。作品当時は三田尻駅と名称でしたが、昭和37年に山口国体が行われる際に駅名も、市名を全国に宣伝するために改名することになり防府駅となったそうです。


このように結構な大所帯で移動しています。先頭にはマイマイ新子ののぼりを持ったスタッフがいて、監督や主催者さんがいて、その後に参加者が続くという約70名もの大行列です(^^) 道すがらなんの行列だろうと注目を浴びていましたねw

駅から商店街へと向かう途中で、図書館長さんから「マイマイ」の説明がありました。
マイマイ」とは山口方言で、髪の毛にあるつむじの事です。「巻き巻き」が変化したようでして、“き”⇒“い”となったそうです。新子のマイマイは額近くにあって、髪の毛がピンとはねています、このマイマイが震えるときに素敵な空想が生まれると言っていましたね:-)
それから方言話では、防府の方言と、愛知の尾張の方言が似ているそうです。「おみゃーさん」のように「みゃー」というそうですが、濁り方が少し違うそうで、専門家の図書館長さんに言わせると、「防府方言の方が澄んでいて上品です」だとかw

●商店街入り口

正面右手の方には、昭和30年代の作中にも登場した山口銀行があります。建物自体は建て変わってしまっていますが、同じ場所にありますね。スタッフが持っているパネルと比較すると、雰囲気が残っていることがわかり、左側の建物でも面影がわかりますね。


ということで、参加者の皆さんが撮影♪ 探検隊のツアー中は人が多いので写らないように撮影するのは至難でしたので、また別の機会に撮影に訪れたいですね。以降の写真はできるだけ参加者が写っていないものを採用していますが、周囲はわんさか参加者で溢れていますw
そして、監督によると、新子が引っ越す際に、貴伊子がタイ焼きを差し入れするのですが、そのタイ焼き屋はこの商店街の奥の方にお店があったそうです。そこまで監督は資料を調べた上で、出したのか!とさらに驚きましたね。


商店街の中には「昭和の雰囲気を再現するスペース」として、昭和館という展示スペースがありました。現在開設準備中だそうです。探検隊が訪れた際には、防府駅の前の三田尻駅の看板などを展示していました。新子の子供時代にもあったのでしょうね。


その昭和館の反対側には、昔の商店街の写真が展示されていました。昔の商店街がわかりますね。

●天神通り

こちらは天神通りで、防府天満宮への道になります。江戸期以降は天満宮へのこの道と、港町が繋がって、先ほどの商店街の付近も商業の中心地だったそうです。


道には天満宮のシンボルである梅の文様があしらわれていました。天満宮にはもちろん学問の神様として有名な菅原道真公が祭られています。大宰府に移動される際に防府にも上陸したそうでその史跡も港にありました。防府市内の観光地として、有名な防府天満宮なのですが、校区が異なるため、新子はこちらの方では遊んでいないそうで原作にも出てこないため、アニメでも未登場だそうです。そのため、市の観光課の方は悔しい思いをなさっているとか紹介がありましたw

そういえば、尾道が舞台の「かみちゅ!」に出てくる神社のモデルも、御袖天満宮という道真公ゆかりでしたね。こちらも大宰府に移動する際に、宿泊や食事のお礼に袖を地元の方に渡したことから縁起がありました。


また、図書館館長さんの説明で、明治〜昭和にかけて活躍した俳人 種田山頭火もありました。彼は防府出身で、こちらの赤い欄干橋近くにはゆかりの小道などがありました。新子が通っていた同じ小学校の出身ですので、新子の遠い昔の先輩にあたるわけですね。あと、松本清張も小説家となる前の新聞社勤めの際に、生活費を稼ぐために、防府で傘の仲買人の副業をしていたというエピソードも披露されました。

この赤い欄干橋の右手を進んでいくと、新子らが通っていた小学校に行き着きます。


そして、監督の要望で少しコース変更して、欄干橋から北上して、防府天満宮近くに移動しました。作中の新開地のバーカリフォルニアがある路地のモデルにした路地があります。こちらが雰囲気が良かったので採用に至ったそうです。

●新子たちが通っていた小学校、通学路

作中では、元気の良い新子のクラスメイトと、東京から来た都会っ子貴伊子の出会いのシーンの印象が強いですね。
校門前で、女の子二人により作中のシーンを再現されていて、皆さん撮影されていました(^-^b

校門前では、山口放送のカメラマンが今回のツアーイベントに参加した小学生にインタビューしていましたね。カメラが重そうで大変そうでした^^; 私を含めてブログ用だったり、作品ファンの方々が、行列の全員が先に進んだ後に撮影して、また行列の先頭の監督をおっかけるということを繰り返していました(^^; 監督のお話の際には、それらの方々はメモ帳を取り出して書き留めていましたね。私もメモしていましたがなかなか大変でした。さながら、総理大臣のぶらさがり取材を行っている記者のようでした(^^)


そして、校門から右手に向かうと、新子の通学路になります。校門の下には用水路が通っていて、ずっと東へと流れています。北東にある佐波川からの農業用の疎水だったそうです。


新子が走っていったシーンに出てきた用水路横。小学校からずっと繋がっています。曲がり具合が良かったので作品でも使いましたと監督。この先でも原作者さんとお知り合いだった地元のお住まいの方も出てこられて、監督と話をされていました。新子のお母さんは絵を描くことが好きだったとか(^^)


●佐波神社

こちらは新子ちゃんが遊びに来ていた神社になります。多々良山の西の端に位置しています。
先ほどお話した防府天満宮はここからかなり西に位置しますので、こちらが家に程近いので遊び場には最適だったのでしょうね。この写真だけを見ると、初詣の参拝客のようにも見えますねw

作中ではジャンケンして石段を登る遊びグリコをやっていたので、先ほどの姉妹が実演していましたね。この神社の目の前の道は旧山陽道でして、古代から様々な人が通ったのでしょうねと想像してみてくださいと監督。太閤秀吉が西に向かったのもこの街道ですし、幕末の明治維新の際に長州藩の若者がこの道を通ったでしょうと想像を拡げて下さりました。大河ドラマ篤姫」でも江戸に輿入れする際にはこちらを通ったと近年分かったそうですね。
また、遠景では工場地帯も見え、その付近は千年前は海なので、諾子を乗せて船が寄港する様もみえたのでしょうね。


そして、佐波神社の目の前には、作中では桑畑が広がっていて、そこで、金魚の“ひづる”を見つけますね。
その近くには、作品冒頭に新子のハンモックをかけていた木々のモデルになったあの木がありました。

●馬神様の祠

新子らが祠横に座っていたシーンになります。背後には、特徴的な形の多々良山がそびえています。


先ほどの校門でも活躍してくれた女の子二人に今回も撮影に協力してくれていました。今回のイベントのためにイメージが湧くようにと、地元スタッフが親戚のお子さんを連れて来て頂いてくれたそうですね。本当に感謝多謝です(__) この二人の女の子もちゃんとマイマイ新子は見ているようでして、いろいろ楽しんでいました^^ 「あたしは貴伊子の場所がいい〜」などと配役についても自己主張をしていて楽しかったです(^^) そして、昼食時に、隣り合ったので、「あたし、どれだけ写っている〜?」と撮影写真を見せてとせがまれましたw


多々良山になります。多々良氏が良い鉱石を求めて、隕石が落ちたこの山に住み着いたなどと伝説がある山です。
中腹にゴルフ場もあり、新子の妹がゴルフボールを探しに登ったりとしていたのを思い出しますね(^^) また、麓には、防府市の一番の観光名所である毛利家の庭園もあるのですが、こちらは昭和42年に公開されたので、新子たちも立ち入ることはできなかったようですね。市の観光課の方がこちらでも嘆いていたそうです(^^;

●国府址

監督は、作中でも重要な場所ですという説明ありました。新子が千年前を想像するのに祖父から教えてもらった場所のひとつであり、新子の通学路でもあり、遊びの場所でもあり、ひずるのお墓を作った場所でもあるからです。中央の石碑は幕末に作られたそうで、左側は後に文部省が立てた石碑だそうです。なので、新子のいた昭和30年代にはどちらもあったようですね。

国庁自体は千年前に全国に設置されていたのですが、武家の社会になってからはどんどん跡地がなくなって保存状態が悪くなったそうです。周防国(現在山口)のこちらは、奈良大仏の再建のために東大寺が所領を管理することになったそうです、その後の歴史の過程で所領を減らされてきましたが細々と雰囲気や遺構が残ってきたそうです。昭和の戦後に、史跡公園として整備することになり、建っていた住居も移動して今の公園になったそうです。


作中では、ドン菓子(ポンポン菓子)の場所でしたね。どうなるのか知らない貴伊子が…(笑)
私の子供頃にも近所にこの機械をおじさんが持ってきて、ドン!とやってくれましたねぇ、子供心に怖くて逃げた思い出がwと言っても、昭和五十年代の話ですので今でもどちらかであるのではないでしょうか?


石碑の裏側に“ひづる”のお墓を作ってみんなでナンマイダーナンマイダーと唱えていましたね。子供心に、ここは千年前に通じるところだから、生き返ってくれないかと純真無垢の気持ちが現れた場所でした。



また、この場所は奈良時代に国庁として使われていたので(平安期には少し南に移動していた)、千年前の平安時代には、朽ちた門が存在するだけで一面の野原だったのではないか?という想像で描かれているそうです。千年前の場所をさらに奈良時代からの経過までも想像するのは凄いですね。


現代では、このように国庁跡には何もなく、公園として開放されているそうです。ある意味、平安時代の草野原と同じイメージになっているんだなぁと面白く思えました(^^)

国庁の端の場所が、昭和三十年代にもそのまま交差点になっていて、さらに現在でもその交差点と受け継がれているのは凄く面白いと監督。


左側に見えるお寺の屋根は昭和三十年前の写真と、現代でもほぼ同じでしたね。この道を奥に進むと小学校になり、手前側は新子の家のあった場所に続いています。左に曲がると諾子が住んでいた国司の館跡に向かいます。


●諾子の屋敷/その周囲

国庁址から南にずっと下ると、昭和三十年代のシーンの風景に出会うことができます。バスのシーンですね。


こちらは水路になります。昭和三十年にもありましたし、もう少し南に下ると千年前では洗濯物を洗っていた用水路として出て来た場所になります。諾子が遊ぼうよと呼びかけていた女の子もここで洗濯していましたね。


この向かい側の一帯が、諾子が住んでいた国司の屋敷だったそうです。三年前に監督がロケハンで訪れた際に、右側におられる今回主催の館長さんとも知り合うことになったそうです。そして、そのすぐ後にこの辺りで発掘調査をしていた館長さんとも再び出会ったそうです。そのエピソードが面白いということで、作中でも発掘を行っているシーンが挿入されたそうですね。
あと、この国司屋敷も発掘調査されて、瓦が出土しないことや、屋敷敷地の北西側に炊事場所があったことなどを考慮を入れて、作中の屋敷を想像したそうです。


こちらは別の遺構ですが、発掘現場もすぐ近くで現在も行われていました。土の色合いと質で遺構を見分けていくそうです。一度掘った土は参加するため黒くなるため、穴の埋め戻しがわかるそうです。
発掘調査場所を歩くなんて体験は私も始めてでしたし、参加者の方々も始めての様子でした。特に表面は歩いてもOKとは思いませんでした。土の質の違いがわかるように輪郭を掘ったり串でマーキングすれば問題なしだそうです。

●昭和三十年代の昼食

発掘現場近くの会館にて食事になりました。先ほどの国庁の石碑にはこの文字が描かれていました。現在でもこちらの地区名になっていますね。


そして嬉しいことに、新子の時代の昭和30年代のお弁当を再現してくださっていました。まさに味のある演出ですね(^-^b

こちらがそのメニューになります。くじらカツって、時代を感じますね。くじらは戦後の貴重なタンパク源でしたよねぇ。


こちらは千年前の芋粥自然薯とそのムカゴを粥にしたもので、現在の芋粥と違います。千年前の当時は、これがかなりのご馳走だったそうです。お味は野趣溢れる素朴な味でした:-)


また、防府は毛利家の土地柄なので、額に毛利家の信念の言葉である「百万一心」の言葉が掲げられていましたね。
個人的な話ですが、数日前に戦国無双3というゲームを購入して、毛利元就でプレイしまして、その言葉が多用されていたので、あぁご当地に来たわけだよなぁとも感慨深く思えました(^^)

食事後には、新子が食べていたような駄菓子と、ドン菓子も頂きました。本当はドン菓子の実演も準備されていましたということです。業者の都合が合わなかったそうでちょっと残念でしたが、逆にそこまで用意を考えられていたのかぁと感激でした(^^)


こちらは監督の海外の映画祭土産。キャンディーとチョコがありました。今回大活躍の女の子二人に、監督がチョコを配っている際には「ウイスキーは入ってないから大丈夫だよ〜(笑)」と言われていましたねw


そうそう、食事の際に、お隣に座っていた防府地元の方と少しお話をしました。
この作品の方言の再現度はどうなのですか?ってお聞きしたところ、「いやぁ、全然違うね〜」と返答。あらま、やっぱ地元の方の耳だと微妙な発音が表現できていないのかな?って思ってしまったのですが、そうではなく「あの方言は爺様の代の方言だから、今の方言とは全然違うねぇ」とのこと、なるほど!w
言葉も生き物ですから、方言も移り変わっていくものですね。新子の方言をそのまま防府の方に話すと、?という表情されることもあるわけですね(^^)

●三叉路

千年前の牛を見る三叉路。口ケンカしている二人がいたところになります。初めて、新子が想像を膨らませて、白昼夢のように千年前の人々が現れてくるのが印象的でした。

●新子の家の近くの直角に曲がった水路

そして、作品の冒頭に出て来た、千年前に都があったということを新子が知る場所になります。
三年前は直角だったそうなのですが、付近の住宅地造成により車が曲がりやすくするために、湾曲する溝に変わっていました、うぅ残念! 今年の最近に工事が入ったそうでして、残念でしたねぇ。市の担当者の方々も申し訳ない雰囲気でした(^_^;;
この辺りは新子が麦畑を泳いでいるシーンが印象深いですが、現在では住宅地になっています。これも時の流れとして受け止めて、想像で補完したいものですね。


ちょっと離れた別の場所では直角に曲がった溝に出会えましたので良かったです。この水路の水は、古代より農業用に佐波川の疎水を引いているそうです。多々良山からは何本かの天井川があったそうですが、農業用の水を賄うためには不十分な水量だったため疎水を引いたそうですね。

●タツヨシの家へ

お米を詰めた一升瓶を背負った新子がタツヨシの家に向かうシーンに出てくる風景。先ほどの牛の三叉路を左に曲がりずっと直進したところにあります。その道の最南端にタツヨシの家の市営住宅があります。

●浜の津

国司防府に降り立った港の址です。作中には、松の苗木を採取するシーンが出てきますね。
諾子の実父の清原元輔歌人で、こちらを詠んだ歌が残っています。
「思いいでよ 千年の子の日の昼ごとに 勝間の浦の 岸の姫まつ」


また、ここにはお墓があったそうです。多々良氏の武人が諾子の遊び相手になるはずだった…とお墓を見せるシーンがあったと思います。
そうそう、多々良氏は次第に勢力を伸ばして、室町時代には守護大名大内氏となったそうですよ。

●新開地

バーカリフォルニアがある飲み屋街があった場所です。新子とタツヨシが、自分達の思いの仇を取る為に、大人の未知の世界に乗り込んでいくシーンで出てきますね。現在ではすっかり雰囲気もなくなり住宅街になっています。元の入り口付近に交番が残っているのが名残でしょうか。

●貴伊子の家/社宅への道

新子がずっと貴伊子の後を付いて行ったときに、立ち止まる踏み切りの址です。湾岸の工場への引き込み線の線路だったようです。今でも雰囲気は残っているのと、引込み線の線路址も周囲に残っていました。この交差点を突き抜けてまっすぐ行くと、社宅への道になるのも全く同じですね。作中では学校から貴伊子の家までがかなり遠いように通学路シーンが多く出ていましたが、実際に本当に遠いですね。


こちらも作中にも出てきましたね。


そして、貴伊子の家がある社宅。現在も社宅として使われています。このモニュメントも作中に登場しましたね。


貴伊子が犬に吼えられて、自分の家にって辺りの風景。こちらの社宅は関係者以外立ち入り禁止だそうで、今回は特別通り抜けをさせて頂いたそうです。

●監督のお話

最後は、ロックシティ防府というショッピングセンターの屋上に登りました。
そこで、舞台の楽しみ方について、監督のお話がありました。
舞台を訪れることで、一つの土地の上に、色んなイメージを重なって見ることができるのがわかって頂けたということと、想像を行うことが重要だということを言われていました。このショッピングセンターの場所は千年前は海で、さらにこの屋上の高さは、かもめの視点だと想像して風景を思い浮かべると面白いですねとのことでした。


ショッピングセンターからの風景は普通の日本のどこでもある風景に見えますが、今回のロケ地を訪れるツアーに参加した全員が千年前の海と砂浜を想像できたのではないかと思います。
そして、監督からはまた防府を訪れて欲しいとのことでした(^-^b


そして、屋上にて、全員の記念撮影を再び行いました。みんな本当に笑顔でしたねw
非常に楽しい舞台の紹介のイベントでした。全行程は約8キロ強ほど歩きましたが、とても楽しく充実した内容で参加して本当に良かったです(注意:新開地や貴伊子の家への行程を除けば半分以下の道のりです)。


作品に込めた監督の思いを舞台を歩くことの中で紐解いて紹介して下さることはなかなかないことでした(^^)
私もまた防府を訪れてみたいですね。私は実家が福岡なので、今年の帰省でも訪れることになりそうです(^-^b


また、マイマイ新子と千年の魔法は上映館が少なくなりつつありますが、できれば上映している今のうちに見ていただくことをお勧めします。現在はネットで口コミでも広がりつつありまして、アニメの時かけと同じように良作品なのに上映館が少ない/上映期間が短い状況です。また、お近くでは上映館がなくとも、防府では正月明けまで上映しているそうですので、防府で映画を見てその足で舞台を歩くというのも面白いですね(^-^b
それから、現在、上映存続の署名活動も行われています。もし良かったらご協力下さい(^^)
■『マイマイ新子と千年の魔法』上映存続を!
http://www.shomei.tv/project-1385.html





■文章:Minkyこと、このブログの中の人
■履歴:
12/13:主だった写真のみ暫定掲載
12/14:天満宮までの記述を追加。
12/15:写真を追加し、ほぼ文章も書き込み終了で第一稿完了〜
12/16:motsukunさんのご指摘を頂き、商店街の入り口の説明を合致させるために分かりやすい写真を追加。ご指摘ありがとうございました!(^^)
12/19:まいちさんのご指摘を頂き、商店街の映画館址ではなく「昭和の雰囲気を再現するスペース」に修正、発掘現場での館長さんとの出会い部分について修正、山陽道の歴史人物について追記しました。ご指摘ありがとうございました!(^^) また、位置関係がわかりにくいので、作品舞台の防府マップをグーグルマップで導入。