関ヶ原合戦で的中突破を行い鮮烈な退却戦を演じたといえば、鬼島津とも恐れられた島津義弘になります。ただ、その退却戦の中で、殿軍として徳川勢を引き受けたのが、島津豊久になります。島津豊久は島津義弘の甥にあたります。関ヶ原合戦後に徳川勢が薩摩に攻め寄せた場合には、武名名高い島津義弘が守っている自体が、島津家存続の道と確信し、島津豊久自身が“島津の退き口”で活躍を見せます。その中でも、島津家の戦術の一つ、命を捨てて敵勢の足を止めさせる、捨て奸(すてがまり)を駆使して、追いすがる徳川勢の松平忠吉や井伊直政をも負傷させます。
- 作者: 平野耕太
- 出版社/メーカー: 少年画報社
- 発売日: 2010/07/07
- メディア: コミック
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元々戦国時代の歴史好きなので関ヶ原合戦の史実のためや、漫画作品でも取り上げられた、島津豊久の居城である佐土原城址を訪れてみることにしました。佐土原城址は宮崎市の北東部に位置しています。
城址の情報は特に事前に調べなかったので、城址だから公園として残っているくらいだろうな?と想像していたのですが、良い意味で裏切られました。当時の建物の一部を再現した資料館がありました。
<書きかけ〜 9/7>
佐土原城址の山はうっそうと草木が生い茂っていますが、その麓に二之丸御殿を再現した資料館があります。
佐土原城址の周辺には、島津家関連の史跡が多く残っています。関ヶ原合戦で亡くなり一端断絶してしまうために、島津家久、島津豊久の二代を前島津(まえしまづ)と呼び、薩摩の本家より入った島津以久(島津貴久の弟の島津忠将の長男)江戸期の佐土原藩を後島津(あとしまづ)と呼ぶそうです。
今回閉館間近に訪れたのですが、係員の方が懇切丁寧に説明してくださって大変ありがたかったです。話の途中で、その係員さんと私には奇妙な縁があったのも面白かったです。
★ここに写真いくつかアップ予定。
前島津家の墓地の入り口になります。レリーフで説明がありました。
島津家久公、島津豊久公のお墓があります。豊久公が亡くなった後、この地は徳川家の代官が一時期接収したこともあり、一族自身は薩摩に戻ったのですが、地元の方が偲び墓地を保存されていたそうです。墓標がたくさんあるのは関ヶ原合戦で亡くなった佐土原の侍の方々だそうです。
左から二番目が島津豊久公のお墓になります。
こちらは一人で訪れたのですが、この直後に閉館したので、先程の説明員さんが車で来て下さいまして、ボランティアで説明下さいました。
関ヶ原合戦の際に出兵した島津軍のほとんどは佐土原から出兵したそうです。関ヶ原当時の島津家の方針では…。
少し離れたこちらには、後島津の佐土原藩の代々の藩主の墓地があります。
説明員さんに教えて頂いて面白かったのは、このお寺の瓦にあります。屋根の瓦の下部には島津家の家紋があるのですが、上部の方には徳川家の家紋があります。江戸幕府の体制になって、島津家のことは徳川家が注視しているからという意味もあったのだとか。藩主が気を使って、徳川家の家紋を上位に設置したのでしょうか。
佐土原藩の代々の藩主の墓地になります。
書きかけ・・・
説明員さんと私には縁があったと、途中書いたのですが・・・