:御先祖様万々歳!

というOVAがあったのだけど、それは関係なく;-)

親父殿があまり興味のない雰囲気だったけど、無理矢理だしてもらった家系図を読んでみた。うは、もろ漢文!w 読み方違えるだけで大きく意味が変わってくるので注意しながら読み進めてみる。ネットで元号を照合しながら私の歴史知識と比較しながら間違えがないかチェック。こういうのは眉唾ものが多いのでw


んー、わかったことは清和源氏の流れみたいで、1300年代に足利将軍から南朝討伐の戦功として、実家付近に領地をもらったそうだ。その五代後に、大内氏が近畿に遠征し摂津難波の戦功で新たに土地をもらった際に、嫡男の弟さんが分家して名字を変えたようだ。このとき今の名字に変わったみたいで、この人が家祖の方。この名字は漢字が普通だけど読み方が凄く変な珍名に入る部類なので歴史はあるとは思っていたがここまで古いとはw
それと、前の名字は佐竹らしい。だから、家の家紋が戦国大名常陸佐竹家などと同じなのか^^;


そんなわけで、まず地縁を持ったことに意味があるので、御先祖さまが将軍さまに領地をもらうきっかけになった和睦の地、筑後一の宮である高良大社にルーツ?を求めて訪れてみました。難波は普通に大阪に住んでいる私はよく訪れるから^^
この大社は久留米市の東方にあります。まず、この一番目の鳥居をくぐってから、山を登ってかなり上にあります、御先祖様も登ったのでしょうか。…すみません、私は車で上まで行きます^^;


本殿に到着。昔を偲んでいつもよりもさらに丁寧にお参りしてみました。御先祖様はどういう人柄だったのだろうかなぁ?


ここからの景色はまた凄かったです。筑後平野の東が見えます。この方角の先の山々を越えた辺りに拝領した土地があったそうです。


絵馬と勝ち守りをもらってみました。武運にあやかって私も頑張りたいものです(^-^b とはいえ、腕力はないですが頭や腕を使う仕事をしていますですw


そして、その後の流れなのですが、戦国時代に入って、大友宗麟に攻められる勢力側だったり、その後に秀吉の九州平定軍に攻められる側だったりと散々だったようですね、いわゆる負け組^^; 主君は領地変えで日向の方に行ったのですが、ついて行かずそのまま残ったようです。その後も色々ありながら、最終的に私たちの家族まで行き着くことになったわけで面白いものです(^-^)