朝霧の巫女 七巻@兵庫県湊川神社

■舞台を訪れる際の注意



舞台になった場所に行き、登場人物の言動に思いを馳せるのが醍醐味だと思います(^-^) でも、その場所は普通の生活地域になりますので、公序良俗に反しないように行動はくれぐれも慎んで、常識を持って楽しんでください。 特に、その場所で騒がない、壊さない、汚さないは守りましょう(^o^) よろしくお願いいたしますm(__)m
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朝霧の巫女 7 (ヤングキングコミックス)
舞台探訪日:2011年2月6日

朝霧の巫女7巻が一月末の先週に発売されたのを祝って、7巻のゆかりの地の一つ、湊川神社に参拝してきました。
朝霧の巫女は現代の話が中心なのですが、7巻では主人公の敵役の乱裁道宗と、熊沢菊里の過去の因縁の話が綴られています。この二人は、南北朝時代の武将の楠木正成とその弟、楠木正季(作中では男装した妹)の転生した姿という作品設定になっています。その二人の過去の話が、作品の主題の柱の一つを描いた重要な話となっています。


湊川神社です。この日は天気もよかったです。
こちらの神社は神戸駅近くにあり、この辺りはこの神社を中心に開けたと言われています。最寄の駅は高速神戸駅です。地下鉄の出口にも、“楠公前正面出口”もありますよ。


入ってすぐ右手には、大楠公こと、楠木正成墓所として伝わっています。


こちらが墓所になります。この墓所は江戸時代に、水戸光圀の指示によって作られました。


実際の墓所は、大阪府河内長野市の観心寺に首塚があるそうです。首実検をした足利尊氏が一族に渡したそうですね。このお寺は楠木家の菩提寺になります。


この墓所を造営した水戸光圀公の像です。いわゆる水戸黄門さまですね。この方はTV時代劇のように諸国は漫遊しておらず、歴史ヲタクと言っていいほど、部下を使って歴史書を作成していました。その中で、尊皇の士である楠木正成のエピソードに感激して墓所を作ったわけです。
ただ、徳川家は天皇家からなんとか将軍職をもらって幕府を開いているわけなので、徳川家康の孫の光圀さんがこういうことをするのは、後の明治維新で勤皇の士がこの墓所を見て使命に燃えて幕府を倒す事になるわけで…、幕府を開いた家康さんとしては外様大名ならともかく身内の孫にいてちょっと困りものにも思えますね(^^;


参道そばには、大楠公のエピソードがわかりやすく掲示されていました。


最後の合戦となった湊川の合戦や、兄弟が自刃するシーンです。


そして、神社境内に入ってすぐ左手にあります、宝物殿では楠公さんにゆかりの品や、絵画などの展示がされています。
今回の探訪では、作中に出てきた風景などはないことは分かった上で訪れていたのですが、嬉しい出会いがありました。
作中で、菊理がかぶっていた大黒頭巾形兜を宝物殿で見ることができました。


この兜は、楠木正成の所用の兜と伝承があるそうです。
正面に大黒天、左側に毘沙門天、右に摩利支天を配した兜でした。小槌の柄の部分に楠木正成の名が書かれているそうですね。
毘沙門天と摩利支天は、戦国時代などに武士に崇拝されていた戦いの神様です。大黒天は大黒様として、七福神でもふくよかなお姿で描かれるのですが、そもそもはインドの神様シヴァ神の化身で破壊の神です。なので、兜には三柱の神様の武力を借りる意味が意味合いが込められています。


こちらはパンフに掲載の画像です。是非、参拝して実物をご覧になってくださいね。宇河先生も訪れて参考にされたのだろうなぁ〜
本当に予想外だったので大満足でした。d(^_^o)


続きます。

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