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へうげもの@京都

■舞台を訪れる際の注意



舞台になった場所に行き、登場人物の言動に思いを馳せるのが醍醐味だと思います(^-^) でも、その場所は普通の生活地域になりますので、公序良俗に反しないように行動はくれぐれも慎んで、常識を持って楽しんでください。 特に、その場所で騒がない、壊さない、汚さないは守りましょう(^o^) よろしくお願いいたしますm(__)m
当ブログでの舞台探訪のポリシーはこちらになります。

へうげもの Blu-ray BOX 1(Blu-ray Disc)へうげもの(1) (モーニング KC)
舞台探訪日:2012年4月14日


今回は、id:riyotさん(ローリング廻し蹴り)に誘われて、へうげものに出てきました、利休居士ゆかりの茶室に行ってまいりました。
その茶室は非公開でして、事前にハガキ申し込みの必要があります。 id:riyotさんさんが申し込みをされて、同行者OKということで、舞台探訪者、かつ戦国時代の歴史好きの私が呼ばれたわけですw
前回彼とは、空の境界に出てきた女学校のモデルの女子大も訪れたこともあり、今回で二回目ですね。前回は撮影OK&公開NGで(総務許可の下)、今回は国宝のため撮影NGという、いつもながらのレポ作成にはハードレベルです。どういう風にレポを書くか、二人の知恵の絞り合いで候。

●山崎

利休居士ゆかりの茶室は、京都と大阪の県境にあたる山崎の地にあります。
こちらの風景は、天王山の麓から、眺めたものになります。画面中央に川が三本流れております。京都からの桂川宇治川、奈良からの木津川がここで合流しています。対岸の男山には石清水八幡宮があります。

ちなみに写真の左奥辺りは八幡市の木津川になりますが、この辺りは、京アニ作品でよく背景に使用される場所ですね。CLANNAD空を見上げる少女の瞳に映る世界けいおん!などに出てきます。


こちらの地図を見るとよりわかりやすいと思います。上記写真は南を向いているので、地図を上下逆に見てもらえるとわかるかと。写真の川の辺りの桜が咲き誇っている部分が公園になります。


上記の風景は、大山崎山荘美術館のテラスから撮影しました。茶室の見学時間には時間がありましたので訪れたわけです。建物自体が素晴らしく、この洋館の主が趣味だった蘭の版画が沢山展示されています。館内はもちろん撮影禁止ですが、テラスからの風景は撮影大丈夫でしたので陽春の風景をカメラに収めました。

別館にはモネの睡蓮の絵画も展示されていて、その出会いに驚きました。モネが睡蓮の絵を描いた池の写真も展示されていたので、おぉ舞台探訪ですね!と冗談を言い合いましたw

●妙喜庵“待庵”

さて、目的の茶室に向かいます。


最寄はJR山崎駅です。阪急大山崎駅からも徒歩五分ほどなので阪急でも大丈夫です。
駅の背後には天王山がそびえたっています。


この天王山は、「天王山の戦い」という頂点を決めるような大決戦の例えとして多用されていますね。
明智光秀の謀反により織田信長本能寺の変で亡くなり、毛利家と対峙していた羽柴秀吉が中国からの大返しをして、明智勢と羽柴勢が対峙した場所です。

へうげものでは、明智光秀は●●にそそのかされ、信長は光秀勢の手にかかる前に○○によって暗殺されるという史実とは異なるストーリーでしたね。ですが、利休とその人物の切り離せない関係が続くというのが見所でもあります。


ちなみに、先ほどの美術館や、天王山の登山の途中にはこのような看板もあります:-)




非公開のため事前に往復はがきにてハガキ申し込みの必要があり、 id:riyotさんの準備に感謝です〜


こちらが茶室が現存している妙喜庵です。作品放送の後の番組紹介の部分で出ていました。一応アングル合わせますw


さて、妙喜庵に入ります。
ハガキでは時間指定があり、少人数ずつ見学できるように配慮されているようでした。また見学料は千円で訪問時に支払います。


妙喜庵、待庵とも撮影禁止ですので、パンフレットと絵葉書を一部引用して説明します。


師匠である利休が作った茶室を訪れた織部の心境を思い出しつつ、待庵を見学いたしました。


待庵は元々単独の建物だったものをこちらに移築し、書院と接するように作り変えたそうです。とはいっても、客人が入るためのにじり口がある向きは当時そのままだそうです。


待庵の茶席の部屋では二畳しかなく、主人と客人の二人座るとこのような感じです。室内には入れず外からの見学だったのですが、確かに二畳の空間と言うのは思ったよりも狭く感じたのですが、部屋内の装飾を全て取り払った壁面や天井を見ていると圧迫感がない空間にも思えましたね。


このシーンでは、東の壁の左上の窓からほのかに光が差し込んでいますね。


秀吉は山崎の戦い直後に茶席を設けたり、その後に山崎の地に利休の茶室もあったそうですね。
余談ですが、織部の弟子、つまり利休の孫弟子にあたる小堀遠州は、この山崎から対岸にあたり石清水八幡宮がある男山に茶室を設けていたそうです。山の斜面からせり出した「懸造り」という建て方で、茶室が空中にせり出したようだったとか。北野大茶会で織部が行ったような茶室でもあるわけで、弟子は師匠に似て型破りですねw


一方、ハガキ申し込みしてないから行けないなぁって方もご安心下さい。妙喜庵から徒歩十分ほどの処に、阪急大山崎駅そばに大山崎町歴史資料館があります。その中にレプリカですが、待庵が再現されています。


二階に歴史資料館の入り口があります。入場料は200円です。
この日は多くの方が見学に訪れていました。海外の方も見学されていてましたね。


妙喜庵の待庵との違いは見た目ではほぼわかりませんが、こちらの方が移転前の構造に合わせているとか。次の間が幾つか異なるそうです。柱が一本多いのと、外から光を取り入れる窓の位置が違うのだとか。
また、こちらの待庵には屋根の頂点部分に瓦がありました。作中の織部が訪れた待庵にはないのですが、作中に出ていたCG画像では瓦はありますね。これは資料館をモデルにしているようです。


※パンフレットの館内マップより引用


あと、こちらは一階にある油商人の姿のレリーフです。

へうげものとは直接関係ないように見えますが、織田信長の舅である斎藤道三はこの地山崎の生まれという説があります。戦国時代は下克上と言われ、信長が活躍する前から北条早雲斎藤道三が有名でした。その斎藤道三は油売り商人から身を起こして、最終的には美濃一国(現在の岐阜県)を手中に収めた戦国大名になりました。
山崎の地は鎌倉時代の頃より、座という商人による荏胡麻の油専売を行っている場所で、中世では日本最大規模の油座だったそうです。その座は石清水八幡宮の神人が主な構成員だったそうで、幕府や朝廷の庇護下にあり、大きな利益を得ていたそうです。織田信長も上洛した際には山崎の地を庇護下する文書がこの資料館に残っていました。

北野天満宮

第24話で出てきた北野大茶湯のシーンです。天正15年10月1日に開催されたそうです。
九州平定も終わり、自分の威光を知らしめる為に、秀吉の命によって、諸大名、公家、一般民衆など身分関わらず、京都・大坂・堺の茶人などを集めて北野天満宮内で茶会が行われました。
まず、北野天満宮を参拝した方なら気づくと思うのですが、山門から本殿までは一直線ではないですね。筋違いの本殿という不思議の一つに数えられていまして、門をくぐった正面には地主神社があり、本殿は西寄りにあります。戦国時代はこうだったのでしょうか?これは確認する術がありませんでした。


自分の茶人としての名をあげようと神妙な面持ちで参上する織部。




茶会の警護のため門の前で、秀吉子飼いの武将、賤ヶ岳の七本槍加藤清正福島正則がどっしりと構えていますね。
玩具の虎に乗っているのは茶会なのであまり不粋な雰囲気を作らないためとのことらしいです、史実ではないと思いますが、へうげものらしい演出ですw


ちなみに加藤清正はボクサーの具志堅用高さんをモデルにしていて、漫画原作でも「ちょっちゅね」と具志堅用高さんの口癖を使っていました。アニメ化の際には原作者からのオファーで声優として声をあてていました。
それにしても何故、具志堅用高さんをモデルにしたのだろう?と思っていましたが、【加藤清正の肖像画】を見てみると氷解しましたねw 確かに似ていますw




こうやってみていると、正直なところ、全然背景が違うよねーロケハンなどしてないんじゃないの?という疑問が沸いてきます。


ここで、同じく戦国時代を描いたアニメBRAVE10北野天満宮の風景を見てみると、こちらはぴったり山門が合っています。こちらはちゃんとロケハンしているっぽいなーと思えましたが、ちょっと違和感がありました。
念のため、山門近くで掃除されていた天満宮の方にお話を伺うと驚愕の事実が分かりました。
この山門は明治時代に京都市内の百貨店の寄進によって建立されたものだとか!w
なので、戦国時代にこの風景はありえないので、BRAVE10の風景ではなく、へうげものの簡素な山門の方が史実に即しているという結論になりました。


確かに山門の菊の御紋は明治期以後に使われていましたよね。天皇家ゆかりの神社でもないので、戦国時代には考えにくいですね。こちらもBRAVE10の映像です。


こちらは本殿前の中門である三光門です。へうげものの時代にはぎりぎりありそうでしたが、現在の社殿は豊臣秀頼が造営したそうなので(この時、秀頼は生まれていません)、合わなくて正解です。北野天満宮自体は平安時代からありましたので、新しく造営する際に前の中門を模した可能性もありますね。
この中門は、日、月、星の彫刻があるから三光門と呼ばれるそうですが、星はないと言われています。確かに探してもないなぁと思いました。


こちらは北野天満宮の本殿です。参拝客の列が物凄かったですね。


絵馬を掲げる場所は沢山ありまして、少しですがアニメなどの絵馬もありましたね。

北野大茶湯では、織部の名をあげることはできず、利休居士の兄弟弟子である丿貫(へちかん)が名を上げることになりました。へうげものでは織部の奇行っぷりが面白さの一面なのですが、丿貫はそれ以上の人物でしたねぇ。もちろん茶道の本質を捉えた上での行動であって、織部はそこに辿り着くまでも紆余曲折の失敗があるわけですがw

大徳寺

第34、37話に出てきた大徳寺です。
原作漫画は連載中で織部の生涯を描くと思われますが、アニメへうげものでは、利休の死をもって作品が終わるため、その死の直接的な原因となるこの大徳寺は意味合いが大きいですね。


大徳寺に向かう利休。


山門は現在通行できず近くには行けないようになっていますので、このアングルがギリギリです(^^;


山門の上に、利休を模した木像を設置したことを咎めている石田三成。公家や秀吉などが通る上に木像を置くことが不敬であるという理由ですね。


余談ながら、大徳寺の三玄院には織部の墓があります。弟子の小堀遠州の墓もあるそうです。
加えて、利休を死に追いやった石田三成ですが、こちらに墓があります。

三成は豊臣政権を維持する為に徳川家康関ヶ原の戦いに挑みます。しかし破れて斬首され、三玄院に墓があります。三玄院は石田三成が春置宗園(しゅんおくそうえん)を開祖として創建されたそうで、また織部や弟子小堀遠州は春置により禅を学んだそうです。
石田三成は徳川家に嫌われたのは有名な事実ですが、織部も利休死後天下第一の茶人として徳川家にも仕えていましたが大阪夏の陣に豊臣家に内通した疑惑で自害、弟子の小堀遠州も公金一万両を流用した嫌疑で幕府ににらまれたなどあったそうです。幕府の目が厳しくとも、ゆかりのあったこの寺院で、生前中色々とありましたが仏となったあとは供養されたのではないかとも思えました。





■アニメ:へうげもの(C)山田芳裕、NHK
■アニメ:BRAVE10(C)霜月かいりトムス・エンタテインメント
■本ブログでは作品風景の比較研究を目的として画像を引用しています
■文章:Minkyこと、このブログの中の人
■履歴:
2012/5/20:暫定掲載
2012/5/21:待庵、北野天満宮大徳寺の記述追加