読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

越中、加賀の諸城

先日の富山旅行で、お城巡りをしたので少し紹介です(^^)

まず、富山城。
江戸時代の前田家の頃には洪水や火災などで何度も被災したそうで、天守閣は元々なかったようですね。
これは、天守台に第二次世界大戦後の昭和に作られたもの復元城。で、さらに平成になって改修されたもの。昭和のままだったらもう少し風情あったかもだけど、中がさらに今風の鉄筋風味でした(^^; 復元城でも差別なく楽しむ私なのですがちょっと残念でしたね。


戦国時代はこんな感じで越中は勢力が分かれていたわけですね。最後には上杉が圧迫してきてほぼ手中に収めますし、織田家が東進してきたので仲が悪かった一向宗とも仲良くなりますね。
謙信公没後は、織田家⇒豊臣家⇒佐々家⇒前田家という変遷です。


越中の西南地方の城マップ。いわゆる今でいう南砺市辺り。
true tearsで有名になった城端には城があったわけです。この辺は一向宗宗徒の根拠地の一つだったのでお寺が凄く立派なわけですね(^^) この写真だけは前後しますが安田城資料館のものです。


富山城資料館のホログラムを使った説明は面白かったですね、城関係では始めてみたかも。 火災や水害で城が被災した範囲がわかりやすかったです。


次に訪れたのは、富山城の西数キロにあった、安田城跡。
これは豊臣家が富山城攻め用に作ったものです。
堀や遺構の再現がなかなか好みです;-) 元々寄る予定はなかったのですが、車運転中に目に入ってむむこれは行かねば!と寄ったわけですw


秀吉の天下統一ができつつあったときに、徳川家康が「秀吉の好きにはさせーん!」と合戦を挑んだ時代の話です。そのとき富山にいた佐々成政も家康に同調し反旗を翻したわけです。花の慶次にもそのエピソード出てきますね〜
富山城を攻めるために、白鳥城を主城にし、さらに2つの支城を設けたわけでその南側の城なわけです。


そして、こちら阿尾城跡。
氷見市の北にある岬を利用した城です。謙信公が七尾城攻めの際に立ち寄ったのだとか。
この阿尾城跡には二つ神社があって、白山系と菊池氏縁起のもあったのですが、菊池氏の説明を読むともろうちの先祖と戦った一族だったので苦笑しましたw


細い岬なので、この道など両側が崖でコワイノデス・・・風雨も強くてなんというかもう危険ですw


本丸跡です。謙信公もここで休んだと思うと良い感じです。ちょうどこの週の前に大河ドラマは七尾城攻めだったので(^^)


さて、さらに北上し、石動山を経由して、七尾城に来ました。
石動山には謙信公が七尾城攻めの際に陣を置いたのだとか。


七尾城は山城で、日本でも屈指のスケールをほこります。頂上近くの天守辺りまで3キロほどの道のりです(^^; まぁ車でいけるからいいのですけど:-)
七尾という地名は、七つの尾根に城塞がまたがっていたので、七尾と呼ばれるようになったそうです。
んで、上杉家のことはよく知っているので、七尾城を中心に勢力をもっていた能登守護畠山氏のことを知りたいなぁと、城山麓の資料館に行くと、…冬季休業中でした、残念(^_^;


資料館の庭には、このような謙信公が七尾城の美しさを詠んだ歌があったりするわけです。


車で登りきった先は霧の中の城跡でした。 七尾城天守閣址近くには駐車場もあるので安心して車で登ってくることができます。
駐車場から霧の中の森を歩いていくと、長大な石垣が見えてきます。現存する山城の中で一番長い石垣だそうです。


こういう石垣好きです(^-^b
戦国時代初期なので石垣の積み方が荒いですね。秀吉が作った同じ巨大山城の奈良の高取城とも違った趣がありますね。


天守閣があった天守台跡です。霧というか雲が山を越えていましたね。すごい寒かったし(^^;


富山城は3年前にぐるっと回っただけでやっと入れたしw、いつか行きたかった七尾城にも行けたしなかなか城めぐりも楽しめました(^^)